勝海舟

おはようございます。
今日は幕臣勝安房守海舟を。
幕府軍艦奉行並の幕臣であった勝海舟。
お父さんは勝小吉。
直心影流の男谷信友とは旧知の間柄。
それが故か勝海舟は男谷信友の高弟であった島田虎之助に直心影流島田派の剣を学び免許皆伝を受けています。
たいてい腕に覚えがあると使いたくなるのが人情ですが、勝海舟は剣に頼るということかなかったようです。
これは赤穂浪士の大石内蔵助も同様で
大石内蔵助は東軍流剣術免許皆伝でありながら昼行灯と言われても平気だったようです。
能ある鷹は爪を隠す、の諺通りでしょうか。
さて勝海舟、幕臣ともあって散々勤皇の志士が斬りに来たそうです。
その際勝海舟は腰間の剣を後方に投げ捨て丸腰で応対したそうです。
勤皇の志士も丸腰の相手を斬るような真似はしなかったようで、逆に勝海舟が無駄に命を落とすこともなかったようです。
ここが薩摩の中村半次郎との違いでしょうか。
人斬りと言われた中村半次郎、人と対峙する際は必ず佩刀を左横につけて座ったそうです。
ことあれば抜き付けに斬って捨てようとファイト満々だったのでしょう。
西郷隆盛でさえ、佩刀を自分の右につけて座ったそうです。
相手に敵意なしを見せたのでしょうか。
結局中村半次郎も西郷隆盛も戦乱の中で命を散らしました。
剣に覚えがありつつ全く剣に頼らなかった勝海舟のみが天寿を全うしたのはやはりその姿勢が理を得ていたのだと思います。
反面口が悪く、その口の悪さゆえ勝海舟は要らぬ敵を作ったとも言われます。
なかなかすべてに秀でた人もいないということでしょう。
腕に覚えがありつつ、それに頼らない。
その生き方はまさに武士であったと思います。
現代に生きるものもその姿勢を知っておくことが要らぬ闘いを避けることにつながるのではないかと思います。

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